第二回

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 本土の人たちが奄美や沖縄の島へ抱くイメージどおり、与論島の基幹作物はサトウキビで、サトウキビ畑が島いっぱいに広がる。夏から冬にかけ、背の高さほどに成長したサトウキビが風になびき、「ざわわ、ざわわ」と葉の擦れ合う音が島を覆う。
 そんな島で、山下博丸さんは戦前からサトウキビ栽培を続け、島でただ一人手作業で黒糖づくりを続けている。
 「与論の人間を育てたのはサトウキビ。子供に昔からの黒糖づくりを教えていきたい」
 そういいながら山下さんは、自家製の黒糖や一升瓶に詰めたキビ酢を振舞ってくれた。島ではかつて子供のおやつは煮た黒糖の残りかすであり、今でも刺身を食べるのにサトウキビから作ったキビ酢を当たり前のように付けて食べる。
 郷土史家の先田光演さんによれば、奄美諸島は江戸時代に薩摩藩の実質支配を受け、与論島では幕末に藩の強引な黒糖政策によって水田がサトウキビ畑へと変わっていった。明治時代になって過酷な取り立てから解放はされたが、いつしかサトウキビは島の生活から切り離せないものとなっていった。

   ◇   ◇

 サトウキビが島に欠かせないことを示す例として、島の地酒は黒糖焼酎。銘柄はただ一つ「有泉(ゆうせん)」である。
 中心街・茶花地区の真中にある有村酒造は昭和二十二年の創業以来、島のサイタラ(与論方言で「飲んべえ」)の肝臓をかわいがってきた。タイ米を一度発酵させ、溶かした黒糖を加えて再度発酵させて蒸留。天水(雨水)を割水に加えて完成させる。香ばしくあっさりとした飲み口で、最近は焼酎ブームを受けて、年間生産量八百石のうち、二割を島外へ出荷している。だが、瓶詰、ラベル貼りまですべて手作業で、何よりも島内の消費量が多く、島外への出荷は限界という。
 この消費を支えているのが「与論献奉(よろんけんぽう)」という島独特の飲み方である。
 座主を中心に、自己紹介や思いのたけを述べた後、杯を干す。沖縄・宮古島の飲み方「オトーリ」と似ている。互いに仲良くなる飲み方としては楽しいものであるが、何巡でも回ってくるのでいつしか楽しいだけの代物でなくなる欠点もある。
 有泉はc度、Y度、T度の三種類。以前はc度とY度の二種類だけだったが、与論献奉のおかげか、度数を下げたT度を二十年前に造ったという。
 もっともサイタラにはあまり関係はないようだ。「『昨日もお宅の酒を飲んだ。おかげで二日酔いだ。度数を下げてくれ』と翌朝に赤い顔で言われるんですよ」と同酒造の有村泰和専務は笑う。

   ◇   ◇

 そう聞くと体験してみたくなるもの。だが、案ずるまでもなく、相手からやってきた。
 取材初日の夜。島の居酒屋で打ち合わせを兼ねて与論町議の福地元一郎さんらと食事していると、ほかの席から有泉の一升瓶を抱えた男たちが次々にやってきた。
 男たちはグラスに氷を入れ、有泉を注ぐ。
 「毒味です」
 自己紹介もそこそこにまず自分が飲み干し、再び注いでグラスを「子」に渡す。正式にはグラスの代わりに朱色の大杯だという。記者も自己紹介や島へ来た目的、島への感想を述べ、グラスを傾ける。そして何度も巡ってくるグラス。次第に酩酊が深まるにつれ、グラスを持ったまま飲まずに延々と持論を展開する輩も。かくして宴は島の闇に包まれて果てしなく続いていった。
 おっとっと。こう書くと酒を飲めないご仁は足を踏み入れべからざる島と思われるかもしれない。しかし嫌な人は飲まなくても問題ありませんから、まずはご安心を。

(銭本隆行)