第九回

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 与論島内を回ると、本土育ちには見慣れない一角によく出くわす。海沿いが多い、それは「墓地」であった。
 コンクリートブロックで簡単に区割りされた白い砂地にそれぞれのお墓が並んでいる。本土で一般的な角石型の墓もあるが、多くの区画には木製の家のミニチュアのようなものが置かれている。脇には草履や提灯がかかった竿が添えられ、甕も並んでいる。
 「それは『ガンブタ』です。亡くなった人が死後に住む家とされています。草履や提灯には、死者が彼岸で歩けるようにとの願いが込められています」
 島を案内してくれた町議の福地元一郎さんがお墓を前に説明してくれた。そしてもう一言付け加えた。
 「島は二年前まではほとんどが土葬でした。ガンブタの下には亡くなった人が埋められているんですよ」
 ガンブタを覗き込んでいた私は、思わず後ろに飛び退り、「ナンマンダブツ・・・」と地面に向かってつぶやいていた。

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 与論では江戸時代まで風葬の習慣があった。島の南東端、「ハミゴー」にはその名残りがある。車道の上、崖上十辰曚匹里箸海蹐坊γ呂あった。脇の細い道を草を掻き分け歩いて上ると、そこには何百個もの頭蓋骨が山のように積まれていた。
 「風葬の跡です。ここに遺体が運ばれ、または伝染病に罹った病人たちがここで死を迎え、そのまま鳥についばまれ、風化し、骨となっていったのです」
 説明を聞きながら、海の向こうに横たわる沖縄本島をみつめた。死を間近に控え、人々はここで何を思って過ごしたのだろうか。
 伝染病の蔓延などから明治時代以降は風葬は廃止され、土葬が奨励された。土葬では、死者はガンブタの下に埋められ、七回忌までに掘り出し、骨を洗う。この作業は「洗骨」と呼ばれ、骨に陽が当たらないように夜明け前にはじめ、陽が上ってからは黒傘をかかげながら行う。洗骨が済むと、甕に納められる。ガンブタの横に置かれていた甕はこれである。
 島では毎月第三日曜日が先祖のお墓を清掃する日となっている。先祖への敬心篤き島である。

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 だが、土葬は、島内で初めて火葬場が建設された二年前から急激に廃れつつある。
 そもそも土葬は手間がかかる。洗骨には島外に出ている者も含め親族一同が集まり、さまざまな宴も開かれる。これらの費用も馬鹿にならず、土葬を嫌う声が以前からあった。しかし火葬場が島にはなく、仕方なく土葬を続けていた家も多かった。中には、島外から移り住んだ人など火葬を希望する場合には、棺を車に積んだまま牘し瓠他の乗客に分からないようにしてフェリーで火葬場がある島へ運ぶこともあった。離島ならではの苦労があった。
 平成十五年についに島南部に火葬場が完成した。すると、あっという間に火葬が一般的となった。
 町役場によれば、以前は島内で土葬は年間六、七十件だったが、平成十六年度にはわずか四件にまで激減した。一方、洗骨の際に骨を火葬してもらうケースも含め、火葬は百六十九件にも上っている。
 「土葬でも火葬でも死者を葬ることに変わりはない。ただ、先祖を思う気持ちだけはいつまでも廃れさせてはならない」
 ある年配の島人はそっとつぶやいた。

(銭本隆行)