第十一回

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 東洋の真珠−。
 アジアの湿っぽい混沌の中に生まれた珠玉のような場所をひとはこう表現する。「西洋…」とは言わないのだがそれはひとまず置いといて、香港、ペナン島(マレーシア)などと並んで、与論島も真珠のひとつに数えられる。
 確かにこの島は美しい。真っ青な海に囲まれ、白いリーフの護衛を従えた緑のチョウチョウウオ。飛行機で空から眺めながら降り立つとき、いつも泳いで逃げてしまわないか心配する。無事降り立てば、自然の素晴らしさもさりながら、島人の人懐っこい情に絡めとられ、チョウチョウウオの胃袋から脱出不能となってしまうのだが…。
 そんな島に惹かれ、町勢要覧によれば平成十五年には七万百三十二人もの観光客が訪れた。さらに昭和五十年代には五十四年の十五万三百八十七人をピークに現在の倍の人々が島を訪れていたという。まさに南の小島が人の重みで沈んでしまいそうな時代でもあった。

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ヨロン駅

 「相部屋は当然で、屋根と布団さえあって泊まれればいいという状態でした」
  民宿「楽園荘」の女将、本園マサ子さん(60歳)はこう当時を懐かしむ。
 既存の宿だけでは泊まりきれず、食事と風呂だけを宿で済ませ、寝床は民家という「民泊」もしばしばだった。
 楽園荘の収容人員は30人程度だったが(現在は拡張して48人)、「百人分の食事を作ったこともあった」という。
 学生ツアー全盛の時代で、若者向きのディスコが島内になんと九軒もあった。
 島南東部の東区でダイビングショップの傍らディスコも経営していた竹下敏夫さん(52歳)は「最大百五十人入れたが、それも二時間で総入れ替えさせなければならなかった」と思い出す。
 ディスコの周辺には夜店まで登場し、星空に照らされた島の一角に猊毀訃覘瓩出現した。
 沖縄が本土復帰するまでは狷本最南端の島瓩箸靴匿佑鮟犬瓠⊂赦損予夙年の本土復帰後もしばらくは賑わいをみせたが、沖縄の観光業の発展や大都市圏からの飛行機の直行便がないなどの理由から、現在では往時の勢いは衰えている。

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 とはいえ、与論の本質には変わりはなく、時代とともに魅力の幅も増えてきている。島最大の行事となった「ヨロンマラソン」、都会ではできない農業体験を楽しむ「グリーンツーリズム」、海を「漕ぎ渡る」シーカヤックなどが登場。島の自然で心身を癒す「アイランドテラピー」を受けられる「パナウル診療所」に、アトピー性皮膚炎や生活習慣病、心の悩みなどを抱えた人たちが多く訪れている。不登校の子供たちも自然に癒しを求めてやってくるという。
 楽園荘には昭和五十年の開館から、そんな与論に惹かれて三十一年間横浜から通い続けている男性もいる。本園さんの長男で現在の宿の主人である秀幸さん(32歳)は「小さいころは親戚の人かと思っていた」と笑う。三十年目のときにはパーティーが開かれ、なんと百人もの島人がお祝いに駆けつけた。
 昨夏は台風にたたられ、八月に客が入ったのは「一週間程度」という南の島ならではの泣けない話もあるが、「民宿をやっていて一番うれしいのは喜んでくれる顔」と本薗さん。
 癒される顔をみて癒されるという癒しの循環。与論の魅力は無尽蔵である。

(銭本隆行)