第十三回

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茶花海岸

 早いもので連載がはじまって一年が経った。ちょうどよい機会でもあり、今回は失礼して、少々思うことをつづらせていただこう。

  この一年間、与論島の実の姿を紹介しようと、さまざまな視点から光を当ててきた。だが、小生は与論島に住んでいるわけではなく、空が灰色に濁った大阪に住んでいる。そのため、過去の取材メモを掘り起こしたり、島を再訪して足早に行った取材をもとにこねくり回して書いてきた。その結果、時々刻々と変わる生のニュースを提供し続けることはできず、物足りなさを感じていた読者がいればこの場を借りてお詫びしたい。

 ただ、島から離れているからこそ、見えたものもあった。島を離れて暮らしながら、島への思いを熱く持ち続けている島人の存在。関西には奄美出身者が三十万人暮らすといわれ、関西与論会には登録しているだけで島の人口の一割にも達する五百人が名を連ねる。また、島の困窮から避けるために明治、大正時代に集団移住した長崎・口之津、福岡・大牟田では、“与論部落”が出現した。こうした人々は、新たな土地で、ときに「ヨーロン」と馬鹿にされながらも、与論の文化、伝統を忘れることなく、それどころか、大阪でいう「土性骨(どしょうぼね)」とし、胸を張って日々を乗り越えてきた。与論島は心の中の太陽であり、活力の源でもあった。
 その姿をみたとき、日本人のありがちな一面を思いだした。海外へ取材に行くことも多いが、そのたびにしばしば目に映ったのは、外国の文化に圧倒されるまま、自己のアイデンティティーを忘れ、相手に追従するばかりの日本人の姿であった。
 なぜ、世界に向かって日本人であることを誇れないのか。与論の人々がこれまでやってきたように、自国の文化、伝統を誇ることは日々の活力ともなるはずである。与論を知ることは日本を知ることにつながる、と今では痛切に感じている。

 こう書きつつ、島から離れて暮らせば、煩雑な日常の営みの中で一体感は薄まってしまう。このため、民謡や踊りが島との紐帯となってきた。島人ではない小生も、少しでも島に近づいていたい思いから、毎日数分間だけでも、拙い三線片手に島の歌を口ずさむ。民謡でいえば、定番の与論小唄やサヨサ節であり、島を代表する「かりゆしバンド」の曲である。
 かりゆしバンドの曲の中でもお気に入りは「島家族」だ。この曲は、パナウル診療所の古川誠二院長の詞をもとにしたバラード。島の夕暮れ時、たゆとう波間を遠く眺め、有泉片手にじっと聴きたい気分になる名曲である。歌詞を一部紹介しよう。

 ♪この世に生まれた命の不思議 島に暮らすよ いつの日からか
  ときの流れと 風に吹かれて 終わりの棲家(すみか) 島家族
  縁を結んだ島家族
  縁を結んだ島家族…

 この世とは不思議の連鎖から成り立っている。なぜそこに生を受け、なぜそこで生きるのか。誰にも分からない。が、ただ言えることは、それが縁なのである。
 与論を舞台に縁を結んだ人々が織り成すこの世の寸劇。これからも行方をみつめ続けていこうと思っている。

(銭本隆行)