第十五回

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 通信手段の進歩はつくづく目覚しいと思う。かつては島の情報を手に入れようとしても、図書館へ行くか、直接電話をかけて案内などを送付か、せいぜいファクスしてもらうぐらいしかなかった。それが現在は、インターネットによって、家の炬燵に座ったままであっという間に島を疑似体験できる。
 一方で、こうした情報発信や、いやむしろ情報取得は、島の人々にとって長年の夢でもあった。情報の渦に巻き込まれてしまっている都会人とは逆に、日々必要な情報ですら簡単には渡ってこないのが海に囲まれた島の宿命でもあるからだ。
昔から観光地として名高く、人々の往来も盛んな与論島では情報に対する意識は強く、平成十五年七月、離島で初めて島内全域でADSLの利用が可能となった。
 「二、三年で二百件の加入が見込めるかどうかというのがNTTの当初の採算ラインだったようですが、サービス開始から半年間で二百件を達成しました」
島の情報化を進めるNPO法人「e-○k(いーまるけー)」の植田佳樹さんは語る。
農家は野菜や果物の相場を調べたり、自動車販売店はネットオークションで車を仕入れたり、すでに欠かせないものとなっており、現在は島内の約四分の一にあたる約六百件がADSLを利用している。
 ADSLに次いで、光ケーブルの敷設も俎上に乗っており、昨年末に町民にアンケートと署名を行い、千件の署名を取りつけ、NTTに陳情を行った。これまでのADSLの普及率などから敷設は有望視されている。

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町民へのブロードバンド体験会

 こうした島の利便性に目をつけて移住を決めた旅人(たびんちゅ)の一人が、中島和則(かずのり)さん(37)だった。
 岡山県で育った中島さんは、瀬戸内海をみて育ち、中学、高校時代にサーフィンをやっていたこともあり、海への思いは人一倍強かった。関東の大学で通信工学を学び、通信、コンピューター系の雑誌の編集社に勤めた。
だが、「海のそばで暮らしたい」という思いはやまず、米国・ハワイへの移住を考え、会社を退社。職場を都会に限定しないで収入を得られる仕事を手にしようと、自動車が趣味という「特技」を生かした執筆業やインターネットのサーバー管理などの仕事をはじめた。
 準備に三年をかけ、いざ米国へ、と思った矢先に、米国・ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機が激突した。いわゆる9・11米同時中枢テロである。こうした結果、移住先を海外から国内へと変えざるを得なかった。
 親が戦前生まれで戦争を体験し、沖縄への辛い思いを持っているため、沖縄以外の島から目当てを探し、鹿児島県最南端の与論島に白羽の矢を立てた。平成十三年九月、初めての下見に島を訪れた。
 「空の青色の抜け方が違った。豊かな自然に感動した」
ある夜、宿から買い物に出かけると、島人が車で送ってくれた。翌年九月に再度下見に訪れた際、この島人に挨拶に行くと快く受け入れてくれ、与論献奉の洗礼を受けた。

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 十五年には三回、十六年には七回、「下見」に訪れた。
 最初に来たころはADSLはまだ開通しておらず、ネットに依存する自分の仕事ができるのかどうか、不安な面があった。が、十五年に開通後、「これならば」とついに移住を決断した。妻も承諾してくれ、妻の親も「娘が幸せならそれでいい」と許してくれた。
 もっとも、どんなにネット化が進もうともやはり島は島である。年に何度も襲来する台風では停電が頻繁に起こる。そのため、外部に情報を発信するサーバーは島内に置きにくいのが実情だ。そのため、中島さんは、知人となった島人の助けを借り、町の繁華街で島内でも停電が一番起きにくい茶花地区に平屋の2Kながら格安でアパートを借りた。現在は、自分のこれまでの仕事のほか、情報アドバイザーとして週二回、役場で非常勤職員として仕事を持っている。
 収入は格段に減ったが、魚や野菜は知人が「食べな」と持ってきてくれる。余暇には魚釣りも楽しんでいる。
 「もちろん不便なことも多いけれど、補いうるものが島にはたくさんある」
 一人の島人がこうして誕生した。

(銭本隆行)