第二回

1号特集 江ケ島桟橋

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昭和52年 江ケ島桟橋
はしけから港へ降りる
 島の東には、南北二ヶ所の大きな港がある。
 港は海の玄関であり、旅人達を迎え見送る。今でこそ旅客船の発着所としてよく知られるのは南の供利港であるが、ほんの一昔前(ヨロン観光ブームにさしかかる昭和38年〜54年)は北に位置する江ヶ島桟橋で、旅人は手を振り合っていた。
 歴史上、最も多くの観光客が出入りしたその頃の光景は今も人々の記憶に鮮明に残っている。

 砂浜の海岸線に木の小舟を浮かべた時代が過ぎ、漁業の進歩や生活の変化により島民は桟橋を造り、そこに船を着けるようになった。
 時代は移り変わり、昭和30年代には島を出入りする人の数がそれまでに比べ大幅に増え始めた。
 昭和38年、島民のかつてからの願いであった大型の港、江ヶ島桟橋がつに完成した。この場所はイチョーキ長浜(第一回参照)の東の端にあり、当時のチチヒナ離れを埋め立てて出来上がったものであり、港が出来てからはお土産屋や商店が建ち並び、多くの人で賑わいだ。


昭和50年代【昔】
平成17年【今】

 沖縄祖国復帰以前から、さいはての島を目指した全国からの旅人は後を断たず、港は溢れんばかりの人で埋め尽くされた。客船の需要の高まりにつれ、港に泊まる船もどんどん大型化していった。当初桟橋に直接接岸していた船は沖に泊まるようになり、人々は桟橋から大型の船へはしけで渡った。荷物が濡れてしまわないように抱えながらはしけの端をしっかりとつかみ、目の前に近づくエメラルドグリーンの水面に浮かんだ小さな島に胸を躍らせた。港では、旅館や民宿の看板を持ったアルバイトの若者の大きな声が響き、楽園へ訪れたせわしい笑顔が大きく船を揺らしていた。

 多くの島民が旅立ち、多くの旅人が訪れたヨロンのはしけの時代は長く続き、昭和54年の供利港接岸まで続いた。
 江ヶ島桟橋へ吹く北風がきびしく、より条件の良い南の供利へと港は移されたのだ。
 旅客船が停まらなくなり、人が減るとたちまち商店や建物は消えた。現在では貨物船や漁船の港として利用され昔の面影は残っていないが、手を振り合う人々の情熱は場所を変えて今も残っている。波と波が交わりとけあうように、時代の流れと共に思い出もまた交差していくのだ。

昭和60年代
賑わいだ江ケ島売店も姿を変えた。
平成17年
多目的イベントスペースとして作られた公園。
平成17年
江ケ島へ向かう橋。コースタルリゾート計画が進む。

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