第四回

2号特集 ハミゴー遊び〜その2〜

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平成16年 ハミゴー
西向棚(イームッケェダナ)から遠く沖縄を見る。
 かつてハミゴー遊びは旧正月の五日から七日まで、島の若者たちによって盛大に催されていた。「洞窟の上で歌い踊る、一年に一度の大交遊会」は青春の思い出として、今も島のご年配の方々の間で懐かしく語られる。
 この風習は一体いつ頃からどのようにして始まったものなのか。
 時代はさかのぼり、約五百年。ヨロン島出身の町田原長氏は次のように推定している。
「当時島の集落は、朝戸、麦屋、城の地域にほとんど居住され、文学のない未開の小島においては慰安や娯楽など何の楽しみもない生活であった。その中から島の若者たちが自発的知恵を絞り、正月だけでもという考えから始められたのがハミゴー遊びの誕生であったのだろう」
 時代背景については、
「琉球から三味線などの楽器と同時に歌文化がこの島に伝わった時代、おそらく琉球との貿易が盛んであった尚真王時代(一四七七年〜一五二六年)、遊びの風習は始まったのだろう」
 以上、氏の著書「与論島民話集」からまとめたものであるが、とても興味深い説である。これは島の有名な民謡「与論小唄」という歌の詩にも通じるところがある。

   木の葉みたいな我が与論
   何の楽しみないところ
   好きな貴女がいればこそ
   嫌な与論も好きとなる

 今のような裕福な暮らしが普通にはなかった時代、女は家の手伝い、男は農業や魚捕りという辛い労働生活の毎日を精一杯生きていた。そこに伝わり入ってきた歌、踊り。「恋するあの人と遊ぶ幸せ」。
きっとハミゴー遊びは「小唄」が示す通り始まったのであろう。

 次回へ続く…

死屈(シミャ)と言われる風葬跡が所々にある。ここに眠るご先祖も、以前は同じように歌や踊りに興じていたのだろう。 昭和50年頃
西向棚での風景(再現の様子)
町田原長氏「与論島民話集」より

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