第六回

2号特集 ハミゴー遊び〜その4〜

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 ハミゴー遊びは今から約六十年前に姿を消した。
 日本では昭和十二年に支那事変が起こり、引き続き十六年には大東亜戦争が始まった。争いに吹く厳しい風は北から南から島まで届き、貧困、徴兵、食糧不足と日々の生活を脅かした。
 当時、苦しい生活の中で与論村民は田中村長の勇気ある決断により「諸行事や娯楽の廃止」を決める。
 豊年祭の禁止、正月八月願祭の禁止、シニュグ祭禁止、そしてハミゴー遊びの禁止。
「戦争に勝つことが第一だ、そのためには全てを捨てよ」
―時代の風は厳しかったのである。

 やがて戦争が終わり祖国復帰を果たしても、遊びの文化が完全に復活することはなかった。
 戦後の高度経済成長の波に乗り新しい文化や遊びが島に入ってくると、島の若者も本土の若者と同じ様に三線を他の楽器に持ち替え、聞き歌う音楽も、遊び方や遊び場も変化していった。
 「大切な文化を守るために」後に城集落の壮年会や観光協会によって復活の取り組みがなされたが、新しい時代の流れはそれを許さずついに実現することはなかった。
 遠い昔から島民の心を癒してきたハミゴー遊びは、こうして姿を消していったのである。

 風習は姿を消し、今はもう訪れる者も少なくなった。しかし、遊びの記憶は、きっとこれからも大切な思い出として語り継がれていくだろう。
 いつの時代も、色濃く褪せることのない青春の思い出の記憶は、世代を超えて今に残る。昔を想い、形を変えながら、若者はまた新たな場所で集い遊び恋をするだろう。
 洞窟は、笑い声を包み今もそこにある。

 特集ハミゴー遊び おわり

ハミゴーに通じる観光道路の整備工事の様子
ハミゴーの原っぱに微笑み立つ二人
若い日を想う
「ハミゴー遊びの思い出」

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