第九回

3号特集 ヨロンの親父「有村治峯」〜その3〜

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昭和39年 南島開発
南島開発創業当時は耕運機でキビを運んでいたが、島に来ると必ず畑をまわり島民と話しをしていた翁は「農家の人に苦労させるな」と、それからは大型トラックでキビを運ぶようになった。
  ヨロン島民の記憶に一番に残る「治峯さん」の思い出、それは島で初めての大型製糖工場『南島開発』が設立してからのことだった。

 毎年一月初旬、島一番の大きな煙突からは白い煙りがたちのぼり、道にはさとうきびを積んだ大きなトラックが行き交い、島民は斧とかまを持ち畑へ繰り出す。
 年中太陽と雨の恵みを受けて、糖分をたっぷり含んださとうきびは刈り取られ、工場へ運ばれ、砂糖にされ、出来たその大量の砂糖は島外へ搬出され、代金が島の各農家へと戻ってくる。
 今も昔も変わらず、さとうきびは生活のため欠かすことの出来ない農作物であり、古くは、島の農業生産のなかで唯一の商品作物だったこともあった。
 美味しい砂糖をよりたくさん作るため、島に降る雨にさとうきびを潤してくれるよう切望していた島民は、より便利な大型の工場の設立を同じように待ち望んでいた。
 昭和三十六年、翁の設立した南島開発は期待以上に島民の生活を潤した。それまでの小型圧搾機できびを絞り砂糖を作っていた頃に比べると、砂糖の生産量は一気に増加し、それはまさにうなぎ登りの生産高上昇であった。

 砂糖が増えると島全体が喜んだ。直接的な砂糖の売買だけではなく、さとうきびと抱き合わせた輸送野菜や花の栽培が始まり、外にヨロンの名前が出るようになってくると、更にそれは直接観光産業につながった。昭和四十年代から始まるヨロン観光ブーム、そして現在の観光経済の種火となったのが南島開発だったのである。
 とにもかくにも、島民の生活を支えるさとうきびの畑はまた一段と島に広がり、緑の大地に建った煙突から出る白い煙は、新しい時代の幕開けと同時に「南島ヨロン」の風物詩になったのであった。

 次回へ続く…

【小型圧搾機】工場が建つ以前はこの圧搾機を牛に引かせ家族、または集落単位で砂糖を作っていた。
昔のきび刈りの様子
南島開発工事中

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