第十回

3号特集 ヨロンの親父「有村治峯」〜その4〜

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昭和48年 サタマルケー
この年、与論町名誉町民の称号を受けた。
昭和60年 サタマルケー
ビールが大好きだった。
 故郷ヨロンが大好きで島家族を心から愛していた翁は、伝統や風習を大切にする根っからの島人(しまんちゅ)だった。その翁が最も積極的に取り組んだのが、島民と共に祝う「サタマルケー」である。
 サタマルケーとは、毎年きび刈りと製糖が全て終了すると家族で宴会をするという(今で言えば製糖終了祝い)島の風習である。
 製糖終了時期になると必ず帰島した翁は、職員や親戚を集めてサタマルケーを行った。ここでもまた翁らしいエピソードがある。
 始めは工場の中でされていた宴会だったが、ある時「建物の中ではつまらん。浜でやろう」という翁の一言で今までとまったく違った形で宴は催されるようになった。砂浜に巨大テントを張り島民全員が集い、大きなお祝いがされるようになった。「天井のある場所での宴会は都会でやってる、せっかく島でやるんだから外がいい」島では島の楽しみ方をするんだ。それは、自然が好きでその素晴らしさも誰よりも感じている翁だからこそであった。
 宴会には多くの人が集まり、大賑わい。お祭り大好きなヨロン島民はもちろん、町長や県知事、また財政各界の人たちなどその数1500〜1600人が集い、様々な演目が催された。キビと太陽と精一杯戦い終えた島民たちが舞台に上がり、一芸や踊りなどを披露した。翁は近くで宴会を見つめ、歌い話し、時に気分がのって嬉しいときには会場に混じって激しく踊ることもあった。
 当時の「サタマルケー」とは、島出身の偉人から溢れる島への思いやり、魂の大きさ、そして何より島への素直さを身近に感じることの出来る、一年に一度の大行事であったのだった。

 翁は、数々の功績を背中にまとい、その全てを飾ることなく偉ぶることなく、いつも優しく身近にいて、計り知れないほどの幸福を私たちにもたらしてくれた。

「キビは可愛がれば可愛がるほど応えてくれるんだ」
 口癖は、足跡の理由を教えた。
 貧乏な時代を糧とし、支えてくれる全てのものに感謝を忘れず、愛すべく自分の立つふるさとに人生を捧げた偉大なる島の親父。
「気持ちの底から人に尽くせばいつか必ず応えてくれる」「やる気があればなんでも出来るんだ」
 つむぎ、船、そして砂糖、足跡が今もなお多くのことを私たちに語っている。

 平成12年11月7日、翁は自宅の部屋で逝った。勇ましく走り抜いた百年の人生の最後に、残した言葉は温かく「ありがとう」その一言であった。
 この最後の言葉を返せるように、今私たちは大きな想いを繋いでいく。

 【完】


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