第2回

島人さまざま(その一)
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ゴール後に田中教育長と撮影

 2001年の第10回ヨロンマラソンでは、当時那間小学校校長の田中先生(現与論町教育長、以下敬称略)の策略にまんまと乗ってしまった。フルマラソンは35kmを過ぎてからが勝負と言われるが、その年は先生の巧妙な戦術にしてやられたような気がする。それは私が3月8日に与論島に到着後、那間小学校にご挨拶に訪れた時から始まった。
 先生には、この日に与論島に来ることをお知らせしていなかったのに、先刻承知の様子。一年間の無沙汰を詫びつつお話をお聞きしていると、なんと先生は与論まちづくりのメーリングリストで、そこに書き込んだ情報は先生には全て伝わっていたのだ。今まで先生が発信された事が無かったように思っていたので意外だった。後でメーリングリストを主催しているパナウル診療所の古川先生から伺ったことだが、与論島在住でメールを読むだけで楽しんでいらっしゃる人がかなり多いとか。ここで先生は策士だと気がつけば良かったのだが・・・・・
 先生もハーフマラソンに参加するために、狭い那間小学校の校庭をぐるぐると走って回って練習された事、那間小学校でマラソンに参加する先生方の専用Tシャツを作ってマラソンに備えている事、私もそのTシャツを着て走ってはどうだと言う事で、これは先生がマラソンにかなりの力を注いでいらっしゃるのだなと感じたのです。
 翌朝、楽園荘からトレーニングで島を半周しようとしかけた時に、先生が車で約束のTシャツを届けて下さった。黒地に金色で文様を浮き上がらせたシックな物で、有り難く頂戴したが、後から考えると、これも先生の策略だったと思う。言うなれば私に目印を付けたようなものだ。

 いくらトレーニングを重ねても、ヨロンマラソンのコースのアップダウンには対応しきれない。今回も月間200kmの走り込みをしたが、その程度では通用しない。とにかく30km地点(折り返してきて赤碕あたり)までは歩かずに走り、そこからの上り坂は歩きになってもしようがないと初めから決めていたのです。


最大の難関「翔龍橋」。JALのスチュワーデスさんもランナーを応援

 スタートは午前8時、折り返しあたりで午前10時。ハーフマラソンのスタートの合図の花火の音が聞こえ、暫くすると招待選手の谷川真理さんが軽快な足取りで走り去って行った。あんなに元気だったらフルを走ったら良いのにとぼやいてみるが、それからというものは、スタート直後で気力いっぱいのハーフマラソンの人たちにどんどん抜かされていく。やっぱりフルはしんどいなと実感するが、もう手遅れ・・いや、足遅れだ。
 そして30kmの地点を過ぎると、当然のごとく上り坂が急にきつく感じるようになってきて、やっぱりしようが無いと悟りを開いた感じで歩きを交えて民族村の坂道を登っていると、先生が一言声を掛けられて抜き去っていかれた。軽快なフットワークだ。みるみる後姿が遠ざかっていく。こりゃあー、どうにもこうにも勝負にならない。
最大の難関の翔龍橋の登りを終え、下りはさすがに楽だ・・・・・と飛ばしていると前方に先生の姿が見えて来、やがて並んで暫くは併走が続いた。ここまで来れば、先生のパワーを利用させてもらって、このまま一緒に走っていけばゴールまで何とかなるのではと思っていたが・・・・・先生曰く。
「次の給水所には美味しい豚汁があるから、ぜひ食べていって・・・」
給水所はそれから直ぐだった。やれやれ豚汁にありつける。有り難いことだと思ってその前で止まったが、あれれ???先生は止まらずに行ってしまうではないか!!先生に付いて行ったら何とかなるのではという私の考えは、あえなくも消えてしまったのです。ここでウサギさんではあるまいし、ゆっくり豚汁を食べる暇なんかあるものかとばかり、とにかく水を飲んで走り始めたのでした。(豚汁は食べそこない)
 後日談。先生はゴールしてからこの給水所まで引き返してきて、きっちりと豚汁を賞味されたそうです。ゴールからここまで6kmはあるでしょうか。すごい健脚だなぁと感心したら、実はバイクに乗って行かれたとか。しかも学生時代は中距離の選手だったとおっしゃる。何もかも余裕の先生の策略とお見受けしました。参りました!!
更に後日談。
 今年のヨロンマラソンに参加した時の事。先生が私達をご自宅に招待してくださった。豚汁をご馳走してくださるとの事で喜んでお伺いした。その席でこの話が出たのだが、一同大笑い。でもマラソンの時のは豚汁ではなくてやぎ汁だったとか。どんな味だったのだろうか分からないが、奥様の手料理の豚汁は素敵なお味でした。