第18回

背中を押してくれた人
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安野光雅さんのサイン入りテキスト。NHK番組担当者の宮沢乃里子さんから、お見舞いとして頂戴したもの
 もう直ぐヨロンマラソンの募集が始まる時期になってきた。又、一年が過ぎてしまったのかと慌ただしさを感じると共に、思い出す事がある。
 阪神淡路大震災で被害を受けた我が家の修復で、ヨロンマラソンに3回参加出来なかった時期があった。参加すると決めていたのを始めてキャンセルしたのがヨロンマラソンだったので、その当日には、家の修理をしながら時計を眺めて、午前8時にスタートだから、今あの辺を走っている頃だろうなーと想像していた。正にイメージ走そのもので、口惜しくもあった。(第四話参照)

 最近になって、災害ボランティアの活躍する話は多い。そもそも災害時にボランティアが動き始めたのは、この阪神淡路大震災の時からではなかろうか。でも、私には無縁だった。何せ地震の被害の悲惨さは、神戸市に集中していたので、震源地が直ぐ目の前の明石海峡にあった明石市だけど、神戸市との境から500メートルも離れていないのに、救援の手も足も無かった。ボランティアはおろか、公的機関でさえ個人に対する援助は皆無といってよいほどだ。事実、家の修理の相談会が市役所内で行われたものの、大勢の人がつめかけて、長時間待った挙句の回答が、「家を建ててもらった大工さんに相談しなさい」とは!薄情そのもので、相談にもならなかった。
 電話も不通の時で、市役所に設置されていた特別回線の電話を借りる事が出来たので、ヨロンマラソンの時の宿泊をお願いしていた楽園荘の本園マサ子さんに、参加出来ない事を伝えようとした時に、電話口に出てきたマサ子さんから「まぁー、良かったねー、無事だったの?元気を出して・・・」との声を聞いて、けんもほろろの相談の後だっただけに、胸が詰まってしまって、暫くは返事も出来なかった。


修理完成祝いにマサ子さんから送って頂いた百合の、これは一部です。背景の壁の板張りもきれいでしょう・・
 ついでに家の修理を一人でやる事になった経緯もこの際聞いてください。
 市役所の相談会で指摘された建ててもらった大工さんは、もう35年も前の事とて、現在どこいるのか連絡のしようも無い。そんな時に大阪で、最新の耐震住宅の情報が得られる事を知って出かけた。市役所では、見てももらえなかった被害の写真をいっぱい持っていき、自分なりの修理案も図面にして用意した。相手は一級建築士で、私の言い分を一時間余も聞いて下さった。持って行った被害写真も一枚ずつチェックしながらいろいろアドバイスして下さったのです。そして、
「良いじゃあないですか、貴方が良いと思い、出来ると確信が持てるならやりなさい。貴方なら出来ますよ」 今までになかった対応に、お礼を述べて帰りがけた私に、「これでどうぞ元気を出して下さい」と言いながら、その会場の食堂での夕食券を下さったのです。思わず涙でした。

 家の修理中はテレビを見る事も殆ど無かった。テレビの番組内容が、異次元の世界のように思えたのだ。おそらくイラクの人達が日本に来た時に受ける感覚みたいなものと同じだろうと思う。その中で、NHKの教育テレビの趣味百科の「風景画を描く」が、印象的なギターのテーマ曲と共に、飄々とした語り口の安野光雅さんの説明で、描かれていくヨーロッパの風景が、荒んでいた感情を和らげていったのです。(1995年3月)
 早速テキストを探しましたが入手出来ず、やむなくNHKへ葉書を出してみました。数日後、安野光雅さんの「がんばって下さい」というコメントとサイン入りのテキストが届いたのには驚きでした。当時は絵を描く状態ではなかったけれど、何時の日か絵筆を持ってと希望を抱いた・・・・・


安野さんからお褒めを頂いた年賀状の版画の原版、今は静かな明石海峡
 困っている時に、少しだけ背中を押されると勇気が出るものだ。お陰で一人で3年半かかって我が家の修理が出来た。終わった時に、マサ子さんが両手にいっぱいの百合の花を届けて下さった。
大阪で相談にのって頂いた一級建築士さんには、その後出会う事も叶わないので、お礼のしようも無いのが残念。安野光雅さんには版画の年賀状を、ずっとお送りしていて、一度だけだったが、その版画を「面白い・・」と褒めて頂いた事もある。
 楽園荘のマサ子さんには、今も頭が上がらない。 (
2004.10.1 亀野稔)