第25回

瓢箪から駒
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篠山マラソンのマーク 阪神大震災の前年の93年3月。当時のヨロンマラソンは2月開催だった


制限時間が過ぎても待ち続けるゴールのスタッフ


完走パーティのフィナーレは全員参加のカシャーシで盛り上がる(2002年撮影)


与論島点描 森瑶子邸からの海の色
 前回の「鴨の水掻き」で少々書きましたが、本当に何が起こっても不思議ではないと実感しました。ダブるようですが経緯をお聞きください。
 私自身の年間の2大イベントとして、ヨロンマラソンと福知山マラソンがあります。以前はもう一つ、兵庫県の篠山マラソンにも参加していましたが、開催月が同じ3月上旬なので、一度に両方は無理。どちらにしようかなと天秤にかけたのです。
  篠山マラソンは参加料が安いし、明石から自動車で1時間半、楽に日帰りできます。マラソンコースの35kmの手前に飛祖山峠(ひそやまとうげ)のアップダウンが有るのは、ヨロンマラソンの翔竜橋の急坂とよく似ています。でも、高度差は飛祖山峠の約35mに対して翔竜橋は60m!!(きついのを喜んでいる訳でもないけれど)一番違うのは給水所。篠山には5km毎に水しかなくて寂しい限りですが、唯、地元の人が特別にテーブルを置いて、お茶や飴玉、運が良ければ握り飯やバナナを頂いたことも有ります。片やヨロンマラソンは、2.5km毎に有る給水所には水やスポーツドリンクは当然で、ヨロン黒糖に飴玉、バナナ、パイナップル、梅干にパパイヤ漬けにお握り、(エー、お煎にキャラメル、ビールは如何ですかー?は、一寸行き過ぎ、でも有泉をと言われた事がある)・・の豪華さは比べるまでもありません。そしてゴールしたら流れ解散の篠山、完走パーティで盛り上がるヨロンマラソン。こう並べてみると旅費の高いのはハンデですが、やっぱり「ヨロンマラソンの勝ちー」となったのでした。
 初期のヨロンマラソンは、2月にやっていたのですが、これも昔話になってしまいました。記憶に残っているのは、その時の方が暖かくて、与論島に到着したら直ぐにTシャツと半ズボンに着替えていましたが、最近のヨロンマラソンの頃の寒さ?はひどいものです。一体どうした事でしょうね。地球温暖化のせいかも??
 余談が長くなりました。ごめんなさい。m(_ _)m

 
今年のヨロンマラソンでは、魚の目のお陰で5時間半もかかってのゴールで、いつも賑やかに走ってくれていたひまわりキッズの姿は何処にも見えず、かろうじて自前のひまわりキッズとして用意?していた孫しかいなかったとは、折り返してからの超スローペースである程度覚悟していましたが、フルマラソンの怖さを改めて思い知らされたのでした。(第5回ひまわりキッズの予約制は如何、参照)
 それから8ヶ月、これをリベンジと言うのかもしれません。あの失敗を繰り返さないようにと、足のケァーも含めて体調には気を付け、それなりに練習を重ねてきたのです。福知山は制限5時間、ヨロンのように完走の意志さえあれば何時まででも待ってはくれません。コース途中にも関門があって、制限時間が過ぎると容赦なく?収容車に乗せられてしまいます。今までこのような目に有った事は有りません。でも、今年のヨロンマラソンと同じでは駄目だから、それこそ真剣に取り組んで、11月上旬に25km走を終えて家へ帰ってきた時に届いていたのが、福知山マラソンの中止の知らせ。何回も襲ってきた今年の台風、まさかと思っていた23号台風の豪雨で観光バスを飲み込んだ由良川の上流域で、地元の被害が大きくて中止とは、自然災害の凄まじさを見せ付けられた思いです。(第21回参照)
 ぽっかりと空いた空虚な時間が1日過ぎました。・・・・・・・・・・ようやく本題です。

 そうだ、与論島があるじゃないか! やっと気の付く石松がー・・(古い話)。早速楽園荘のマサ子さんに連絡して予約が取れたのです。期間は22日から25日。丁度いいじゃないですか、23日には与論島の一周マラソンをしようとなったのです。思いがけず舞台がくるりと廻りました。パナウル診療所の古川先生も那間小学校の児童達も付き合って走って下さるようです。瓢箪から駒とは、この事かも知れません。先週、ツールド沖縄で快走して来られたばかりの児玉先生も参加して下さる事になりました。強力な助っ人です。
 
与論島の皆さーん、11月23日にはお騒がせしますが宜しくお願いしまーす。(2004.11.18 亀野 稔)