第38回

北帰行
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明石公園点描 北へ帰る寸前のカモメ


明石公園点描 ようやく咲き始めた紅梅

2005ヨロンマラソンのナンバーカードが届いた


与論島点描 ヨロン駅の大きな車輪 鹿児島からレールが続いていたら良いのだが


与論島点描 何処までも真っ青な海に吸い込まれそう
 「窓は夜露にぬれて 都既に遠のく 北へ帰る旅人一人・・・」
  北帰行と言う曲だが、ご存知の方も多いだろう。尤もこの歌をご存知の方は、結構年配の方かも知れない。(私を含めて)何故、北の方角への帰省や旅立ちがもてはやされるのか、その理由は定かでは無いが、北という言葉から受ける緊張感がもたらす何かがあるのだろうか。
 歌謡曲では「北の宿から」や「津軽海峡冬景色」「知床旅情」・・などのヒット曲が幾らでも出て来る。一方、南の方角に関する曲では「花」や「島歌」・・と、指折る事が出来るが、北の曲と比べると、その数と緊張感が少ないのは温度だけのせいでもないのでは・・・・・南の方で迫力のあるのは、やっぱりカチャーシーにとどめをさす。

 ヘボ講釈はさて置いて、春を間近かにしたこの頃の季節は、渡り鳥の移動の季節でもある。明石公園で、その行動力と厚かましさで随一を誇っていたカモメの姿が急に少なくなってきた。後に残ったのは鴨の群れだ。池で水鳥や鯉に餌を与える人が時々見受けられるが、真冬の間、カモメときたら、素早い飛翔力とヘリコプター顔負けのホバーリングで、水面に投げ与えられる餌を空中で巧みにキャッチしてしまうのだから、水面を右往左往しているだけの鴨の口には届かない。そんなカモメの群れが北の方角へ旅立ってしまったので、鴨も安心して餌にありついている様子だ。渡り鳥でも季節が来るまでは、暫しの休息の時なんだろう。

 北へ帰る渡り鳥とは反対の南の方へ移動する季節が近づいて来た。ヨロンマラソンへの参加のために後半月で出発だ。その準備は総てOK・・とはなかなか出来ない。例の魚の目の治療の為にドクターストップがかかったので、走り込みは遅れ気味。「継続は力」と言うが、正にその通り。例年なら長距離走は20kmを軽々とこなしている時期なのだが、未だに15km走がアップアップの有様。寒さ対策に買ったウインドブレーカーの効力は、寒さをシャットアウトする事に就いては100点満点。でも、である。今までTシャツとショートパンツの身軽さで走っていた時と比べると、体を動かす事への抵抗がどうしても大きい。さりとて何にも無しで走るほどの気温ではない。(昨日は4度、今日は7度でした)早い事、ウインドブレーカーの要らない暖かい与論島へ行きたい・・・・・

 今なら朝出発すれば、お昼過ぎには与論島へ到着する。本当に便利になったものだが、10年ほど前は、鹿児島からフェリーに乗って行った。その鹿児島までは軽乗用車で走って行ったのだが、のんびりした旅だった。その頃の記憶は今でも残っている。
 自動車の旅にはカーラジオは必需品で、明石を出発して国道2号線を西へ走っていくと、何時も聞いている大阪放送局のラジオの音が小さくなっていき、やがてノイズの中に消えてしまうので、自分が移動している事が実感出来、慌ててダイヤルを回して大きく聞こえる放送局を捕まえ、やがてそれも聞こえなくなってしまう・・その繰り返しで門司辺りの国民宿舎で一泊。次の日、宿舎を出て直ぐに九州自動車道に入って鹿児島県まで南下するのだが、ここで大失敗をやってしまった。インターチェンジでの入り口で間違ったから堪らない。それでも、始めは気が付かずに良い調子で走っていると、やがて海が見えて来る。何だか変だなと思っていたら海の上の橋を渡っているではないか!!折角九州に来たのに、又本土に戻っているのだ。とは言え、引き返すところは何処にも無く、関門橋を渡り切って、本土側の下関インターまで戻る破目になってしまった。インターチェンジの入り口では標識をしっかり見なければいけないんだ。ついうっかり反対側に入ったら地獄。さりとて間違ったからといって引き返す事も出来ない。我が人生の歩みを見ているようなもんだなぁ・・・・・
 「北帰行」と題名を付けながら、最後は南向きの話になってしまったのも同じような手違い。乞う御容赦。
 ヨロンマラソンでの私のナンバーカード(1016)が届いた。見つけたら応援を宜しく!! (2005.02.16 亀野 稔)