第42回

2005ヨロンマラソン(その3)
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第一回ヨロンマラソンのウエルカムパーティで下条編集長と家内 13年前の古い写真


折り返し地点 行きはヨイヨイだが・・・ これも2000年の時の写真


民族村の前の恐怖の長い坂(大会の翌日のもの)


翔竜橋からの沖縄の遠望(これも大会の翌日)


ハキビナに集まってスタートを待っているひまわりキッズ達
 古里の楽園荘から折り返しまでのマラソンコースは、練習コースとしてよく走っているので、どの辺りにどんな坂があるのかもインプットしているつもりだが、風の強さと低温は計算外で、こんな筈じゃなかった。練習では殆ど気にならないような僅かの上り坂でも、急坂に見えて来るのはどうした事か!!
 宇勝海岸では、楽園荘のジッチャが「よう頑張って来たな」と労ってくれる。へぇー、わざわざこんな遠くまで遠征して来られたのには驚きだ。ここも、一度海岸線まで下って来て、改めて登り直さなければいけない「意地悪コース」設定になっている。白い石灰の矢印と、コース監察のサポートの人達がいなければ、真っ直ぐ「うかつ」に直進してしまうだろう。
 この犯人は、雑誌ランナーズ編集長の下条由紀子さんの筈。スマートなキャリアウーマンで、ヨロンマラソンのコースを選定する為に、ランナーズの若いスタッフと共に、50mの基準になるワイヤーロープで、尺取虫みたいに42.195kmを測っていったが、僅かに距離が足らないので、宇勝海岸へ迂回する事になったそうだ。そのワイヤーロープを見せて頂いた事もある。その努力のお陰で、日本陸上競技連盟公認コースに認定されているのだ。ヨロンマラソンの初期段階では姿を見せておられたが、最近トンとお目にかからない。お元気で全国を飛び回っておられると思う。

 走っている時には、頭の中は案外空っぽで、目先の事しか考えていない。カーブがあれば、最短距離を通るようにと、レーシングカーのドライバーの心境。それも、早々に折り返して来たランナーや、ハーフマラソンの大勢のランナーがドッと反対側を走り抜けて行くので、そっちの方へ気が向いてしまい、暫しは強い風の事も、最短距離を通る事も忘れている。時々は、顔見知りのランナーとすれ違うので、お互いに激励しながら交差するのも楽しい。那間小学校の川畑校長先生もすっ飛んで行った。先日お逢いした時には、ぶっつけ本番だとおしゃっていた。ゲストランナーの谷川真理さんもいた筈だったが、分からずじまいだった。まぁ、人の事はどうでも良いんだ。 (2005.03.08 in与論島)

 ようやく折り返し地点。大きな標識をトンと叩いて、走る向きを変える瞬間が何とも言えない。ここからすれ違う人より、少しは早いんだと思うが、後半バテたら・・まぁ良いか。ここからゴール地点までは、真っ直ぐに行ったとしたら、直ぐ目と鼻の間隔なのに、フルマラソンってのはご苦労な事だ。
 暫くは風も味方をしてくれるが、例の宇勝海岸の下って登っての坂は、ぼちぼちダメージが現れてくる所で、この上り坂はやむを得ないと、途中から始めて少し歩いてしまった。
 今年のトレーニングでは25kmまでの長距離走しかしていなかった。練習の効果は直ぐに現れてきて、25kmの標識を見てからは、足の運びが重くなった・・・・・そんな中で、大金久辺りで「小田恭輔のおじいちゃーん。頑張ってぇー」には驚いた。小田恭輔と言うのは私の孫で、今年も地元の那間小学校に体験入学し、ひまわりキッズの一員として参加させて頂いているのだが、よく分かったものだ。名前を呼んで応援して下さるのはパワーになったが・・・・・
 追い風の効果も赤崎までで、民族村の前からのだらだら登りはどうもいけない。後で尋ねてみたら、あの坂は勾配は緩いのに足にくると皆が言っていた。しんどいからと言って歩き続けたら切りが無い。ゴールまでだって歩いていくだろう。何時も良くやる手で、電柱一本の間隔を歩き、次の一本までの間隔を走る繰り返しで誤魔化したが、誤魔化しの効かないのが前浜からの翔竜橋への登り。皆で歩けば怖くないの心境で、たまに走って登る人もいるが、あれは例外!怪物だ。どうぞお先に!!

 一生懸命に(歩いて?)登って行くと、「苦有れば楽あり」とはこの事。ヨロンマラソンのエイドステーション数有れど、(2.5km毎に有る)この急坂の上のは、特別賑やかで華やかだ。JALの客室乗務員さんも数人が制服姿で給水のサービス。コース横のテントの中からは、
「豚汁に山羊汁も有るよ。ゆっくり休んでいって下さーい」と、大きな声の呼び込み。見ると、大きな鍋の前に10人ほどが並んで順番待ちしている様子。椅子にどっかり座り込んで、舌鼓を打っている人、人・・・・・何とのどかな事か。この坂を下った辺りのハキビナで、ひまわりキッズの孫達や家内が待っていなければ、豚汁でも山羊汁でも食べていくところだった。まだか、ようやくか、35km地点だ。
 左手遠くに沖縄が霞んで見えていた。 (2005.03.17 亀野 稔)