番外編 1

24億匹の熱帯魚
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 

 


タコ釣り用の太い竿で待ち構える(待ちぼうけかも)


正に熱帯魚 観賞用には良いが 食べるのには気が引ける


小さい魚でも三枚におろして刺身に


与論島一周マラソンを支援してくださった方々


琉球舞踊を鮮やかに舞うマサ子さん


関西点描 と言っても我が家の紫陽花 もう直ぐ梅雨の時期、色づくのもこれから

 ヨロンマラソンに真っ青な海は魅力的だ。ある時は近く、時には遠くに望みながらのマラソンコースは何処にでも有るものじゃない。そして、歓迎してくれるのはあの人、この人だけでなく、透き通った海にいる24億匹の熱帯魚。
 ところで、この数字はどうやって勘定したのだろうと小首を傾げてしまう。マラソンの前後の波の静かな日に供利港へ行って海の中を覗いて見ると、明石などでは見る事が出来ない透明な海水の揺らぎの奥に、いるいる。うじゃうじゃと泳いでいるではないか!でも、ここに一万匹位いるかと言うと、一寸疑問だなー。
 たしか、ヨロンマラソンに申し込みを済ませてから頂戴したヨロンマラソンレターに、24億匹と書いてあったのを記憶しているが、この執筆者は想像力が豊なんだなと感心する。
これだけ豊富な熱帯魚だから、5匹や10匹位は素人の私にも釣れてくれるだろうと思うのはごく自然な事で、何時の頃からかヨロンマラソンに参加の時には、必ず釣竿を持参するようになっていた。
 ところがである。見える魚は釣れないという。更に、例の供利港の岸壁に集まってくる魚達はすれからっしているとも言う。毎日集まってくる釣り人を相手にしていて、釣り針を敬遠して餌のみを食べる術を心得ているそうだから、私のような素人では歯が立たないとか。
 私が最初に得た情報では、太い竿と道糸でないと釣り上げる事が出来ないらしい。そこで明石の海で使っていたタコ釣り用の丈夫な竿を持っていった。第二回目の大会の時である。
 大会が終わってから供利港の岸壁で竿を出した。三匹の小魚が釣れたが、その後は音沙汰なし。もう駄目かなと思っていたところに強烈な当たりがあって竿を引きずられそうになった。岸壁の先端まで竿を持って走ったが、でもそこまで。ピンと張った道糸があっけ無く切れてしまった。何が掛かっていたのだろう。その正体は未だに分からない。シマアジ?ムロアジ?それともクジラ??逃げた魚は大きい・・と言う。

 定宿の楽園荘のジッチャは釣りの名人だ。トローリングで大物を仕留めてくる。でも、こんなのは別格で論外だ。そんな時に町役場の池田さんが釣りの名手とお聞きした。サザンクロスセンターにも出ている大きな魚拓の釣り人の名前が池田直也さんだったので、早速町役場へ押しかけて行って教えを乞うた。
 教えて頂いたのは、細いハリスとクッションゴムを使った仕掛けで、これで良いのかと思われるほど頼りない。ところが池田先生は、その仕掛けを使って、たちまち大きな魚を釣り上げて見せてくれた。
「この要領で釣るのだ・・」と言われても相手もさるもの、逃げるもの。いまだに坊主で帰ってくる時の方が多い。24億匹も泳いでいるというのに・・・・・ (2004.06.27)

 丁度一年前になるが「6月6日のフォークダンス」の話を覚えて下さっているだろうか?震災復興記念として(大層な!)与論島一周マラソンを、与論町が全面的に応援して下さって実現した嬉しい話題だったが、その時に伴走して下さったのが嶺秀和さんと田畑嘉明さん、自己満足がモットーの児玉先生の3人のゆんぬ走友会のランナー。そして、バイクで終始先導して下さったのが釣り名人の池田直也さんだった。時速10km程でバイクを2時間余りも走るのは随分しんどい話だったのではと、今になって感じる。記憶があやふやなので申し訳無いけれど、坂元守さんのお名前も残っているが、さてどういう風にして伴走して下さったのか、今となっては覚えていないのが恥ずかしい。
 もう一人、しんどい思いをさせてしまったのは児玉先生だ。専門のトライアスロンのシーズンも終わって体調不良にも拘らず、伴走を買って出て下さったつけが翔竜橋の登りで出始め、赤碕手前でトイレに駆け込む事になってしまわれたとか!私は自分自身の事で精一杯だから、スタートから私の後方をガードして走っておられた児玉先生のアクシデントに気が付く術も無く、気が付けば・・「あれれ?先生がいない!!」
 更に後方をガードして下さっていたのがマサ子さんのワゴン車で、児玉先生を乗せて給水所で追い付き、無事に揃って雨天体操場にゴールしてから、笑い話で盛り上がる種になったのも遠い思い出だ。
 その夜、楽園荘の庭の芝生の上での完走パーティで、鮮やかに琉球舞踊を踊って彩りを添えて下さったのがマサ子さん。
 24億匹の熱帯魚は非協力的だが、大勢の人達に支えられた「6尽くし」の一日だった。  (2005.06.06 亀野 稔)