番外編 6

ようこそ先輩 (ページ1)
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もくもくと長いサトウキビを切り倒して行く


集められたサトウキビを機械に入れて粗糖になっていく


与論空港の先端の40km標識 もうひと踏ん張り


折角のひまわりキッズを残してゴールしてからの少しションボリの与論小学校の白尾恵理子さんと竹内希恵さん


大変お世話になった茶花小学校の和田校長先生 三線のリズムに乗って軽やかに踊る


フルマラソンを完走した畑中和也くん(小5)と白尾秀人くん(小6)

 これは5年前のヨロンマラソンの後で、那間小学校で「マラソンについて」の話をした時の原稿からですが、ここは一つ、那間小学校の体育館内で座っている児童達の父兄になったつもりで読んで下さったら嬉しいです。多少長いので、コーヒーでも飲みながら・・・
(番外編3「課外授業」で、導入部の一部分を掲載しましたが、これは全文です)

那間小学校 日時2000年3月13日(月曜日)1時限目
内容 「マラソンについて」

 「おはようございます」と、声をかけて子供たちの顔を見た。どの顔も輝いていた。始めに7分ほど体育館の中を全員で走ったので、上気して汗ばんだせいかもしれない。「しんどくない?」ほとんどの頭がこっくりした。

 フルマラソンというのは、今走った距離の何倍にもなるんです。しんどかった人は、昨夜宿題を一生懸命やって寝不足だとか、朝食を充分に摂らなかったからだと思います。しんどなかった人、手を挙げて。(数人の手が上がった)立派ですよ。この次は今日走った距離よりもっと長く走ってみましょう。
 私の年の68歳というのは、皆さんのおじいさんの年齢とあまり変わらないと思います。どうでしょう。あなたのおじいさんはヨロンマラソンに参加されましたか?おそらく今一番忙しいキビ狩りの最中で、そんな暇なんかないとおっしゃられるのに違いありません。それが普通だと思うのです。
 ところで、皆さんは走るのは好きですか?楽しいと感じますか?私はしんどいと思うけれど、好きで楽しい。だから、あなた方のおじいさんと同じ年齢になっても、こうしてヨロンマラソンに参加するのを待ちかねていました。それでも、こうして小学生の時から走っていて、走るのが楽しいと思う事の出来る皆さんを、私は本当にうらやましい。というのは、私が金さん、銀さんの年になるまで走れたとしても、後40年もありません。(金さんはこの前、亡くなられました) その時、今小学生の皆さんの年はまだ50歳台。私が初めてフルマラソンを走った時の55歳にもならない。何でも出来るその可能性は、どう考えてみても素晴らしいのです。
 では、あなた方のおじいさんの年と同じ位の私が、どうして元気よく走れるのか、これからその秘密を解き明かしていきましょう。

 昔、昔の大昔、あるところにウサギさんとカメさんがいました。ある日、向こうのお山の頂上(本当は麓ですね)まで走りっこをして、見事優勝したのはカメさんですが、私の先祖ではありません。でも、早く走れるウサギさんに勝てたのは、休まずに走り続けたからだこそと思います。
 話を現代に戻しましょう。昨年のヨロンマラソンの時でした。ハキビナからひまわりキッズとして、与論小学校の2人の女の子が私と一緒に走ってくれました。彼女達にとってはそこがスタ−ト地点で、ゴ−ルまで約6kmあります。私はそこまで36kmも走っていて、ばてぎみです。
 始めはどんどんスピ−ドが上がって快調なひまわりキッズ。少しの上り道でもスピ−ドダウンする私。すると、どうなるでしょうか。ひまわりキッズはスピ−ドを出したり、落としたりしなければなりません。小学生にとって6kmといえば、普段そんな長い距離を走る練習をしていないと聞きました。こんな長い距離を走るのには、やはりこつがいるんです。一番やってはいけないことは、大昔のウサギさんのように早く走ったり、止まって休んで、又あわてて走る事。一番良いのは、カメさんのようにゆっくりでも止まらずに走る事。
 昨年の与論小学校のひまわりキッズも張り切っていたので、やむを得ない事だとは思いますが、ウサギさん式の走りでした。その時、もっとゆっくり行こうと私が言えば良かったのに、私は自分の事だけで精一杯でした。
 与論空港の滑走路の先端部が丁度40km地点です。その辺から伴走のひまわりキッズがだんだん遅れ始めました。当然、私がそこで待たなければいけないのに、ゴ−ルはもう直ぐそこ、頑張れば前年の記録より良くなるとばかり、どんどん先に走って一人でゴ−ルしてしまいました。後でひまわりキッズの彼女達に「ごめんなさい」と謝ったのです。

  では、今年はどうなったのでしょう。今年のハキビナには、見覚えのある茶花小学校の和田校長先生の笑顔がありました。そこからひまわりキッズとして一緒に走ってくれたのは茶小の二人の女の子でした。一緒に走り初めて直ぐに、「ゆっくり行こうね。私はカメさんだから」と言いました。茶小の人達は、幸いにして私の顔と名前を覚えてくれていたのです。
 それは第1回目のヨロン・マラソンの時にさかのぼります。 その時、無事ゴ−ルして茶花海岸でお昼弁当を食べていた時、小学生の2人連れがやってきて、休憩していました。この時は、小学生でもフルマラソンに参加出来、彼らも見事に走り切ったのです。私の趣味として、いつもカメラを持っていましたので、そんな彼らの姿を写し、後でナンバーカードから茶小の子であることが分かったので、手紙を添えて写真を送ったのが縁で、茶小との文通が始まりました。

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