番外編 16

山の麓から
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 物には起源がある。走りっこだっていきなり始まった訳ではない。バドミントンで強くなりたいと考えて走り始めたのがきっかけだ。その前は、登山の前に走ってみたら、思ったより楽に登れた記憶もある。私のランニングのルーツは山登りにあるのではと思ったりしている。
  それも最近のイメージは、雪を頂く遥か遠くの山頂を見ながら薫り高いコーヒーを飲んでいる姿が・・・・・別にコーヒーでなくとも水、又はウイスキー、有泉でも良いが、ここは私の好きな濃いエスプレッソが一番だ。随分昔にあの山の山頂にいた事もあるのだと想像のスクリーンを展開させている。こう言う記述が、随筆家の串田孫一さんの著書の中にあった記憶がしたので本棚を探り、紙の色が変わりかけた数冊を探し読みしたが出てこない。又あとでゆっくりとページを繰って見ようか。
 登山は今、中高年世代のブームになっているが、何でもツァーに参加して行く位の感覚しかないのが危なっかしい。昔は登山の位置付けが違っていて、関西では大峯山に登ってこなければ一人前では無いとも言われていた。そんな風潮の中で、友達数人とテントを担いで大峯山に登った事がある。20歳前の事だ。これだけなら何と言う事は無いが、初めての事にはどうしても失敗談が付き物だ。

(1)大峯山


大峯山系の神童寺谷の遡行

 白い衣服を着た大勢の信者の「六根清浄」の掛け声と法螺貝の響きに混じって、山頂には簡単に登れてしまった。早々に下山したが、麓の宿坊からの帰りの最終バスが、何と午後3時に発車したら後は何も無い。近鉄の最寄の駅まで2時間も掛かるのだからどうしようもない。と言っても宿坊に泊まる気は全然無い。何しろテント持参なのだから強気だったんだ。大きな流れの川迫川(こうせいがわ)の谷間を遡って河原の平地にテントを張った。初めてのテント泊まりだ。
 幸いに回りは吉野山の杉林で、枝打ちした枝や流木が幾らでも転がっていて、豪勢なキャンプファイヤーとなった。遅くまで火を囲んでワイワイ騒いでいたのだろう。人家も無く、まして広い河原だ。好き勝手やっていたに違いない。お陰で毛布一枚だけで、シュラーフなど持っていなかったが、交代しながら焚き火を一晩中続けたので、寒さ知らずで夜が明けた。朝になっても残り火が赤々としていて暖かかった。
 バスの発車時刻まで随分待たなければいけないから、それでは付近を探検に行こうと皆で出かけた。3時間ほどして元のテントを張った場所に戻ってきたが、何処にもテントが見当たらずに様子がおかしい。川の流れはくねくねと曲がっていて、場所を間違えたのかとよくよく見るが・・そうでは無さそう。とにかくテントが無いのだ。焚き火をした後が白い灰の山になって残っていて、その隣に四角い黒ずんだ後が見える。何と、焚き火の残り火が風に乗ってテントに燃え移ってしまっていたのだ。残していた毛布も、昼の食料もきれいさっぱりと無くなってしまったのだ。
 大峯山の役の行者(エンノギョウジャ)の怒りに触れたのか、最初から手酷い洗礼を受けたのだった。 (2006.01.30)

(2)大峯山系の神童寺谷


だんだん水位が高くなって胸まで 行けるんやろか??

 登山技術も大分上達した頃、今度は大峯山でも人の行かない所から登ってみようと言う事になった。その名も神童寺谷とか、5万分の1の地図には登山道すら表記されていない。その時分には近くの六甲山の谷登り(遡行)を度々やっていたので、遣り甲斐がありそうだと山友達数人で出かけた。
 テントを不注意で焼いてしまった川迫川を横目にして遡り、大峯山の奥駆け道に登る道に別れを告げて、いよいよ神童寺谷に入ったが、当然の事ながら道は無い。ガラガラの大きな岩の点在する川筋を上流目指して登るだけだ。
地下足袋に草鞋履きを付けた沢歩きの常道スタイルだったので、濡れた岩や小さな流れの個所でも楽に歩けた。これは行けるじゃないか。
 どんどん遡行するが、だんだんと川幅が狭くなってとうとう両岸とも絶壁。水音もしない淵になっていて渡渉するしか手が無い。一列になって浅瀬を探しながらそれでも胸の高さまで水面が来たが、30m程の先端にある滝の横に回り込んで最初の難関を突破する事が出来た。
 そこからは次々に小さな淵や滝の連続で、とある淵の横の岸壁の、水面から3メートル程の高さの所を、先頭に立ってトラバース(横断)していた私が、岩肌を持つ手先がずるずると滑り始め、体を支え切れなくて「アッ、これはいけない」と思ったがどうにも止まらず、嫌だなー、止まらんかなぁー。そんなのお構い無しのズルズルッと感じながらのスリップで、淵の中に転落してしまった。リュックザックの中は全部ビニール袋に入れてあったから、それが浮きの役目をして沈む事も無く、救命胴着着用と同じ効果の助けで、無事に川下の河原に泳ぎ着いて難を逃れた。
 ところがである。後から山友達の言う事は「泳ぐのなら、何故上流の方へ行かなかったのか??」二重手間だと笑われてしまった。そう言えばそうだなぁー。
或る年の、お盆休みの一齣・・・・・

 (3)立山の早春


深雪で前進不可能 雪洞を1時間ほどかけて掘る

 ケーブルカーの先端が50センチメートルほどの雪を掻き分けながら上の駅に停車した。乗客は3月末の立山を目指す私達3人だけ。登山シーズン中なら、このケーブルカーで登った後は、登山バスで立山の懐深くの弥陀ヶ原まで運んでくれるが、目の前の道には2mを超す積雪で、踏み跡もない。スキーを履いていても腰まで潜ってしまう有様で、それでも1km程は深雪をラッセルしながら進んだだろうか。その時のリーダーのKさんは、これ以上前進するのは不可能と判断したのだろう。そこで雪洞を掘って一晩を過ごす事になった。
 明くる日は快晴、森林限界を超えると一気に前進スピードが上がった。雪が締まってして深く潜る事も無くなったし、視界も広がって目標の弘法の小屋が良く見える。ここも無人小屋で、屋根のある場所の有り難さが身に沁みた。
三日目にようやく目的地の雷鳥荘に到着。ここもやっぱり無人だが、温泉が中にあるのでまるで天国。温泉の温度が高すぎてそのままでは入る事が出来ず、窓を開けてスコップで外の雪を放り込んで温度を下げるのだ。水は凍っていて出ない。裸でスコップを振り回している姿を想像あれ・・・・・寒いのか、熱いのか??
 炊事用には雪をコッヘルに入れて携帯用ガソリンバーナーで溶かすのだが、ゆっくりと溶けて、その後は急に沸騰する。高度が高くて気圧が低いから100℃で無くても沸騰する。ご飯を上手に炊くのにもテクニックがいる。


ベースからアイゼンを着けてアイスバーンの斜面を登って行く

 快晴の一日、雷鳥沢をアイゼンを付けて別山乗越まで登った。ここまで登ると直ぐ目の前が剱岳だ。そこから立山へ縦走して、一の越まで降りて来た。そこからはスキーに履き替えて麓の雷鳥荘まで一気のダウンヒル。雪山の醍醐味だ。
暫くは急傾斜が続くので慎重にスキーを横滑りさせながら下っていたが、雪が風で吹き飛ばされていてアイスバーンになっている個所で、スキーのコントロールが出来なくなり、パリパリーッと流されて行き、どうにも止まらない。(山本リンダじゃあるまいに)
 どうなる事かと思っていたが、新雪の吹き貯まった所でやっと止まる事が出来た。何処も何とも無いが、立山の頂上が随分上に見えていたから高度差300m程だろうか。これは全く結構な距離を滑落したもので、この滑落記録は今も破られていない。
 高度差と言えば、奥穂高小屋の直前から涸沢へ真っ直ぐにグリセード(登山靴のままで雪の急斜面をピッケルでコントロールしながら滑る事)で下りた事が有る。こっちの方が高度差が大きいが、これは落ちたのではなく滑り降りたのだ。ノーコンではないのだ。 (2006.01.31)