番外編 17

続 山の麓から
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別山乗越 目の前に雪を纏った剱岳が現れる


立山三山への縦走


一の越からの大滑降 雪山の醍醐味


北アルプス 奥穂高山荘の前(U字状の所)からのグリセード (涸沢から眺める景色)



ピッケルを支柱にして ザイルで括りつけて


西穂高岳の頂上直下での どこでもテント



これは私であって私ではない 何故なら頭髪が真っ黒だ
カメラを手放さないのは今も変わっていないが・・

  ヨロンマラソンまで後一ヶ月を切った。与論島の皆さんが毎年の事とは言え、島の最大イベントであるので、疲れを忘れての最終段階で大奮闘中ではと思いを巡らせている。
 そんな時に自分の体調の不具合いのせいとは言え、ヨロンマラソンに不参加で、その上、ヨロンマラソンに関係のない事を延々と書き綴っているのは些か気が引けるが、と言ってもまだ2月の夜は寒くて長い。こんな事も有ったのだと、「どんがめさんの昔話つれづれ」をお読みいただければ幸いです。
 はたまた、有泉の杯を干しながら「何をグチャグチャぬかしやがって!」と、一喝されるのも、まぁ良いか・・・・・です。

(4)ドラえもん風に、何処でもテント

 米軍の払い下げのシュラーフを神戸の元町界隈で買ってきた。昭和20年代である。大きな米国人に合わせてあるから長さが2m程もあって扱いにくいので、私の体に合わせてちょん切ったが、中から水鳥の羽毛がはみ出してきて、部屋中を漂うのには参った。
  冬になってからその耐寒性能を確認する為に、布団に入って寝ている家内の横で、寝巻きを着てシュラーフに潜り込んだが、どうした事か寒さでガタガタ震える始末。これではならじと登山用の服を一式着込んだが、朝まで暖かくなる事は無かった。
 家内曰く。「こんなんで冬山に行けるの?」

(4−1)冬の六甲山で

 登山中のアクシデントに備えて、真冬の六甲山で耐寒テストをする事を友人のIさんに持ちかけてみた。条件はツエルト(携帯用の小型テントで支柱も無い)だけで、シュラーフも敷物も持たず、ガソリン用バーナーも使用せず、ローソクだけを使うだけの厳しい条件をつけてみた。「よっしゃー、やってみよう」当時はIさんも私も若かったのだぁ。
 六甲山と言えども厳寒期の夜は零下5℃以下に下がる。冷たい夕食を狭いツエルトの中で食べ、登山靴を脱いでザックの中に下半身を入れて長い夜を過ごす事になった。
 案の定、幾ら経っても眠くならない。心細いローソクの火はかえって危険なので消してしまった。ヤケクソになって知っている山の歌を交代で大声で歌ってみたが長続きしない。火の気は全く無いので、ガタガタ震え始める始末。I君に「ガソリンバーナーを使おうか」と持ち掛けたが「駄目、駄目。もう4時間程の辛抱・・」と、なかなか強情だ。
 東の空が明るさを感じ始めた頃の寒さは、雪山での雪洞生活の方がまるで天国と言えるほどだったが、経験しておいて悪い事では無いと思った。
 朝になってからの暖かい紅茶の美味しかった事・・・・・

(4―2)春の西穂高岳で

 西穂高から奥穂高まで縦走した時の事。西穂山荘を過ぎると一面の雪山。耐寒訓練を共にしたIさんと二人だけだったので、行ける所まで行こうとどんどん進んだが、稜線の上に立つとピッケルの先端がピリピリ言っている。雷の影響だったのだろうか。それでも西穂高岳の頂上には日暮れ前に到着した。さて今夜のテントは何処に張ろうか?
 岩山の事、何処にも平地が無いが、頂上から20m程下った所の登山道で、2m程の長さで幅が50センチの平らな所で幸い雪も無いので泊まる事にした。ザイルで這い松に体を括りつけ、寝返りを打っても落ちないようにして一晩を明かした。シュラーフの中は快適で3000mの高所にいる事も忘れる程だった。

(4−3)夏の富士山で

 家内を連れて富士登山。360ccの軽自動車でウンウン言いながら5合5勺の登山自動車道の終点まで登り、そこからは大勢の登山者に混じってただ登るだけ。8合5勺迄辿り着いた。さてと、何処でテントを張るのが良いのか?小屋の裏手に僅かな平地があるので、小屋の主人に断る事もせずに小型テントを張ってしまった。夜中にゴロゴロと雷の音がする。外を見ると遥か下の方で稲妻が走っている。それよりも山小屋の主人から雷が落ちないか心配だったので、翌日は暗い間にテントを畳んで頂上へ向かって出発した。

(4−4)秋の剱岳で

 立山から縦走して剣沢に入った。途中に山葡萄の真っ黒に熟れた実がいっぱい出来ているのを見つけ、口の周りが真っ黒になるまで食べたのが懐かしい。
 翌日、黒百合のコルから前剱、カニの横ばいなどの岩場を経て剱岳の頂上へ。同じルートを辿って剣沢のテントを張ったところへ戻って来たまでは良かったが、夕方から天候が急変して風が強くなり、その内に雨がテントを激しく叩きつけるようになってきた。早々に食事を済ませてシュラーフに潜り込んだ。だんだん風雨が激しくなりテントが飛ばされかけそうになるので、寝るどころの騒ぎじゃなくなってきた。この時の相棒はFさんだったが、二人してシュラーフから腕だけ出してテントの裾をしっかりと握っていたが、テントから染み込んできた雨水が腕を伝ってシュラーフに入ってくる。テントの底からも浸水しているようだが、でも手を離すわけにいかない強風が明け方まで続いて、結局一睡も出来なかった。問題はそれからだ。
 雨を吸い込んだシュラーフがずっしりと目方を増やしていて、このままでは堪らない。Fさんと二人掛かりで手拭を絞る要領で水分を追い出そうとしたが一向に水滴は出てくれない。三日分の食料と燃料を使って軽くなっている筈なのに、更に重くなったザックを背にして下山する事になった。 (2006.02.01)

(4−5)春の八方尾根で

 後立山の唐松岳から伸びる八方尾根はスキーのメッカ。私がお正月休みにスキーを楽しんでいた頃に、麓の細野部落(旧名)から八方尾根上部の兎平までの登山用ケーブルが新設されて動き始めていた。でも正月休み中の人出が最も多い時には、乗車待ちで3時間と言うのがざら。そうなれば仕様が無い、ゴンドラの横の雪道をスキーを担いで、それでも3時間近くは掛かって、エッチラオッチラと登ったもんだ。
 お正月には混雑するゴンドラも春山シーズンになると、午前中だと1時間待ち程で乗れるようになる。そんな八方尾根にかまテント(太い藤をかまぼこ型に曲げた支柱を数本入れて支えにした冬用テント)を担ぎ上げ、八方尾根のスキー場を下に見下ろす黒菱でテントを張り、ベースキャンプにした。スキーを安く楽しむのが主目的だったから、兎平(八方尾根の上部)のリフトが混雑しない間にゲレンデを独占し、リフトも待たずに乗ってフル回転。麓の旅館からスキー客がゴンドラを使って登ってくる頃には早めの昼食と休憩。 眼下に混雑している有様を眺めながらの優雅な一時を過ごしたのだ。
 午後2時頃になると八方尾根のダウンヒルを楽しんで下の部落まで滑り降り、そこの商店で夕食の材料を買い込み、もうお客さんの待っていないゴンドラに乗り込んで、黒菱のテントまで登って帰るのが日課になった。
 家へ帰ってから体重を量ったら、出発前よりも増えていた。こんな体験は初めて・・・・・ (2006.02.07 亀野 稔)