第三回

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今回は第1回でも少し触れましたが、与論のメインストリート与論銀座で飲食店を営んでおられる阿部さんご夫妻にお話を伺いました。在島30年にならんとする移住者としてはベテランで、すでに息子さんは成人されて福岡にお住まいです。


阿部さんご夫妻

- 与論へは、どういう経緯で来られるようになったのですか?

Mrs.阿部:私は最初西表島へ行って、しばらく向こうへ居たのですが、たまたまS51年に与論へ立ち寄ったのが最初でした。

Mr.阿部:もともと南の海に憧れがあり、外国へ潜りに行ったりもしていましたが、国内では沖縄の本土復帰を契機にこちらへの関心高まり、そんな時代の流れの中で与論へ来るようになりました。

こちらで妻と知り合って結婚したのですが、国が宮城ですので最初は向こうで飲食業に付きながら暮らしていました。そんな折りたまたま与論で同じ飲食業の店をやらないかという要請を受けて本格的に住むようになりました。仕事の合間に潜りにもいけるという楽しみもありましたので。


- 仕事はこれまで順調でしたか?

Mrs.阿部:主人はいわいる職人肌で、派手さはありませんがこつこつ積み重ねてこれまでやってきました。

Mr.阿部:我々自営業は夫婦の協力なしには成り立ちませんので、二人三脚で今日まで来ました。最初の頃は観光客か大半でしたが、完全に独立して現在の場所に店を出してからは、観光客、地元の方、出張で島に来られた方がそれぞれ3分の1づつです。

昔に比べお客さんの全体量は減って、反面同業者は増えていますので営業は大変ですが、これからもマイペースでやって行こうと思います。


- 現在息子さんは既に島を出て九州におられますが、島での子育てのことについてお聞かせください。

Mrs.阿部:息子を保育園に迎えに行った後、そのまま車の中で着替えさせて毎日海へ連れて行きました。実は私は金槌で泳げません。ですからただ海で遊ばせただけで泳ぎは教えた訳ではありませんが、気がつくと泳げるようになっていました。 虫刺されやちょっとした怪我にも海水につけるのは、大変効果がありました。

Mr.阿部:都会との一番の違いは、島には今日も地域社会が残っていますので、親戚の親戚とか同級生同士とか、要するに知り合いの知り合いは皆知り合いの社会ですので、どこかで誰かが見ていてくれる訳です。子供にとっては、安全で暮らしやすいのびのびとした環境かと思います。


- 離島ならではの問題もあったのでしょうね?

Mrs.阿部:それは我々だけでなく、子育てをした人なら誰でも経験したことだと思いますが、やはり病気になったときが大変でした。 今でこそ大きな病院も出来ましたが、何度か沖縄へ連れて行きました。

Mr.阿部:島に急患が出て、夜、海上保安庁のヘリが高校のグランドへ着陸するというので車を集合させて、ライトで照らした時代もありましたね。まあ島の暮らしもずいぶんと便利になりました。

Mrs.阿部:中高生になって運動クラブに入ると、対外試合が島内ではできないのでその点レベルを上げるにはハンディーです。

Mr.阿部:だけど子供たちにとっては、試合のために島外へ行けるのを楽しみにしているようですよ。


Mrs.阿部:確かに幼稚園のころから、遠足といっても島内では同じような所ばかりで飽きてしまうでしょうね。

Mr.阿部:息子は成人したといってもまだ学生で、毎月こちらから仕送りしています。 与論の場合、高校までしかありませんので、卒業するとほぼ100%の子供達が島を出ます。そしてその大半は専門学校を含め進学しています。日本は教育に大変お金のかかる国だと思いますが、特に所得水準の低い離島からの仕送りは、親にとって大変な負担になっています。

問題はこうして高等教育を受けさせた子供達が、島には戻ってこないことにあります。正確にいうと、様々な資格を所得したとしても島には職がなくて戻って来れないのです。

今日の日本の繁栄は、地方からの労働力を都会が吸収して成り立ってきた側面があると思います。ですから昨今の財政危機で交付金が削減されるように聞いていますが、これまでも地方は単に交付金をもらってばかりいたわけでなく、都会へ出る子供に投資して人材を提供してきたのです。

昨年の合併賛否の投票で、与論は独自の道を歩む選択をしました。これからは我々も、町民の一員としての自覚を一層強く持たなければならないと考えています。

つづく