尊尊我無タイトル 尊い生命へ、感謝と祈りを伝えたい KONICA MINOLTA 産経新聞70周年
生活に溶け込む優しい足 「さつえい絵日記」はコチラ
 両手に大きな荷物をぶら下げた父親がホームに降り立った。喜び勇んで駆け寄ってくる子供たちにお土産が入った袋を渡す。その後ろで母親がほほえみながら父子の再会を見守る。一家に再び、団欒(だんらん)が訪れた瞬間だ。

 冬が厳しい東北地方の駅で、かつてよくみられた光景。本州の北端、津軽平野を縦断する津軽鉄道でも同様だった。

 「冬は雪で何もできないから多くの人が出稼ぎに行った。昔は布団も一緒に持っていったから行くのも帰ってくるのも駅ではすべて分かった」

 津軽中里駅の柳谷健一駅長は三、四十年前の見慣れた光景を思いだす。
小さな車両

 津軽鉄道が開通したのは昭和五年。沿線の中里町の元町長、塚本恭一さんは当時十一歳だった。

 「それまでは徒歩や馬車が交通の足。開通後は雪も気にせず出られるようになり、本当に便利でありがたいものだと思った」

 津軽地方特有の地吹雪にもめったに運転中止にならない力強さは頼もしい限りだった。

 一方で、人間味ある優しさを持ちながら運行は続けられた。

 線路沿いに立って手を挙げる住民がいれば、臨時停車して乗せ、トイレに行った乗客のために出発時間を遅らせることもあった。冬になると、車内の唯一の暖房である石炭ストーブで、乗客が干しもちを温めて食べる。映画のフィルム、出稼ぎ先から送られてくる手紙や土産・・・。地元待望の品々も運ばれた。

 津軽鉄道は「津鉄」と親しみを込めて呼ばれ、人々の生活の中に溶け込んでいった。

 「津鉄のおかげで教育を受けることもできた。本当に感謝している。今でも警笛とガタゴト走る音を聞くと心が和む」

 戦中から戦後にかけて中学へ通い、後に通勤でも利用してきた金木町の木下巽教育長にとって、津鉄は“人生の恩人”でもある。自動車の普及とともに乗降客は減ったが、いまも津鉄は学生や高齢者にとって欠かせない足であり続けている。

フォン―。

 警笛が柔らかく響いた。ひと呼吸おいて、列車はゴーと身体を震わし、薄暮にたたずむホームをのっそりと動き出した。懐に乗客をしっかりと抱き、いつものようにそれぞれの目的地へと向かって。
(銭本隆行)



さつえい絵日記
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●撮影/酒巻俊介(産経新聞社 写真報道局)
【撮影データ】 6×4.5カメラ 200mmレンズ
コニカクロームSINBI100
●撮影地/青森県北津軽郡中里町
●撮影状況:
日没直後、まだ明るい空を映す水田の脇。線路を響かせながら走っていく一両の津鉄。

撮影テクニック:
沈んだばかりの夕日に赤く染まる中、植えたばかりの苗が美しいラインを引いた。この微妙なタイミングにスローシャッターで流れる車両を演出した。
「青森県・津軽鉄道」案内
進化し続ける。
新しい価値はそこから生まれる。
津軽三味線
激しいリズムが心を揺さぶる「津軽三味線」。人々を魅了してやまないその音色は、時代の継承者たちがその技を競い合い、 さらに独自の奏法を加えながら、いまもまた進化を続けています。
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金木駅待合室

硬券が懐かしい

大沢内駅

警笛を鳴らして

十三湖の朝

沈んでゆく夕日
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