尊尊我無タイトル 尊い生命へ、感謝と祈りを伝えたい KONICA MINOLTA 産経新聞70周年
島にあふれるもてなしの心 鹿児島県・与論島 「さつえい絵日記」はコチラ
 ざわ、ざわざわ、ざわ、ざわわわわ―。

 与論島の中心産業は昔からサトウキビだ。秋から冬にかけて島を訪れると、そこかしこから葉の擦れる音が聞こえてくる。

 「車がなかったころは黒糖を入れた樽をくり舟に積んで出荷しにいった。卸してから、町でおにぎりを食べて帰ってきた。いつも行くのが楽しみだった」

 戦前からサトウキビを栽培し、黒糖を作ってきた山下博丸さんは往時を思い出す。

 山下さんは今でも島でただ一人、収穫したサトウキビから搾り取った汁を煮て黒糖を手作りしている。サトウキビ一トンから黒糖はわずか六十キロしか出来ず、手間も隙もかかる。そうやって出来た黒糖はわが子同然。山下さんは「一番かわいい者にしか食べさせないぞ」と破顔する。

 お菓子が豊富にない時代には、黒糖は子供にとっても大切なおやつだった。

 「小さいころに親の手伝いをしたら、『サタニギィ(黒糖を炊いたときに釜の底に残った焦げなどを丸めたもの)』を駄賃にくれた。おいしかったなあ」

 島で生まれ育った七十七歳の町繁栄さんは目を細める。
さとうきび畑のおばあ
 素朴な生活だからこそ、本質的な喜びがそこにはあったに違いない。現在でも島の生活は、便利さを限りなく追求した都会とは比べようもないほど質素だ。だが、本土の短大を出て一度は就職しながら、十一年前に島に戻ってきた牧美也子さんはこう語る。

 「何か欲しければ沖縄にでも行けばいい。なによりも素晴らしい自然や暮らしが島にはある」

 そんな豊かな環境で生きてきた島人はおおらかで開放的。なにより人をもてなす心が染み付いている。

 「旅人(タビンチュ)がくれば、『えらい人がおいでになった』ともてなす。知らない話を聴くと裕福な気持ちになるんだ」

 そういって町さんは赤い杯と島の地酒である黒糖焼酎「有泉」を取り出した。「与論献奉(よろんけんぽう)」のはじまりだ。島の酒の飲み方で、座主を中心にお互いが自己紹介や思いのたけを述べ、杯を干す。何度も杯が回ってくるうちに、いつしか誰もが垣根を越えた仲間となっていく。

 島にあふれるもてなしの心は、自分を謙虚にし、相手を尊ぶことから始まる。そしてこの思いは相手を包み、さらに幾重にも広がって、島を温もりの空気で満たしていた。

 宴を終え、宿へ帰る道を歩くと、海を渡ってくる風が火照った身体に心地よい。与論島は南十字星をみられる日本最北端の島。南の水平線上にみえるというこの星に向かってつぶやいた。

 「尊尊我無。また来られますように」
(銭本隆行)



さつえい絵日記
>>「さつえい絵にっき」はコチラ


●撮影/酒巻俊介(産経新聞社 写真報道局)
【撮影データ】 デジタル一眼レフカメラ 75〜300mmレンズ
●撮影地/鹿児島県・与論島
●撮影状況:
まだ腰より低いサトウキビ畑の脇を歩いていたら、鍬を入れているおばあに出会った。
肥料を撒き、土を耕す。大きなサトウキビに育つ前の作業だという。「こんな年寄り撮らんでも・・・」と言いながら、すばらしい笑顔を返してくれた。尊尊我無。
「鹿児島県・与論島」案内
島の子供たち
暮らしが生んだ真心
 「トートゥガナシ!」満面の笑顔で迎えてくれる
その昔、搾取され続けた暮らしが生み出した
生き延びるための知恵、笑顔でいること・・。
今では、もてなしの精神として受け継がれている。
島に広がる笑顔の源は、自分や周囲に対して感謝
する気持ちを忘れない文化が生き続けているから。
ヨロン文化は時間を越える、これからもきっと。
 
TOP
与論篇
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
フォトグラファー酒巻の 酒巻氏イラスト フォトグラファー酒巻の フォトグラファー酒巻の
撮影レポート 撮影レポート 撮影レポート
画像をクリックすると大きな画像がご覧頂けます

さとうきび畑のおばあ

もてなしの郷土料理

笑みをたたえる島人

水際でのおしゃべり

亜熱帯の野菜籠

本日のゴハン
島の子供たち

名物もずくそば


太陽に映えるざわわ

色とりどりの魚たち
干潮に現れる百合ヶ浜

透き通るような海底

このページトップへ